人権と平和の大切さ、共に生きることの意味「小さな統一」ウトロ平和記念館へ

ウトロ地区とは、京都府宇治市伊勢田町ウトロにある日本社会から「置き去りにされた」朝鮮人のまちでした。この地区は1940年から日本政府が推進した「京都飛行場建設」に集められた在日朝鮮人労働者たちの飯場跡に形成された集落です。この地に2022年に建設をされた「ウトロ平和記念会館」へ公明党横浜市会議員団にてお伺いいたしました。

当時在日朝鮮人たちは徴用や貧困から逃れるために飛行場建設の過酷な労働に従事し、やがて日本の敗戦により工事が中断されると、その場に使い捨てのように放置されました。 終戦後、多くの労働者は帰国を希望しましたが、日本の植民地支配により故郷での生活基盤が破壊され、朝鮮半島が社会的にも政治的にも混乱していることや日本政府による財産の持ち出し制限、その他生計の問題などで日本にとどまる人々もいました。朝鮮人労働者たちとその家族は行くあてもないまま自らの手で不毛の地を開拓し、ウトロを第二の故郷として互いに助け合いながら根を下ろして生きてきました。(ウトロ平和祈念館HP)

ウトロの朝鮮人労働者たちにとって1945年の終戦は、植民地支配からの解放であったと同時に、失業者への転落でした。ウトロの人々は過酷な差別と貧困の中で、生きるため、家族を養うためにできることは何でもししたと言われます。(同)

ウトロは戦争の時代に形づくられた、日本社会から「置き去りにされた」困難に直面しながら声を上げた朝鮮人の人々。そしてウトロに寄り添ってきた日本市民、在日コリアン、そして韓国市民が協力してウトロの歴史と居住権を守った場所です。この歴史は小さな地域から国を、そして社会を動かしました。「小さな統一」は、求められる大変「大きな人間の統一」です。国や人種や障害の有無等、差別に関係なく、そこには、同じ「人間」の計り知れない大きな力が発揮され社会をも動かしました。日本と朝鮮半島が互いに理解を深めあい、力を合わせ、地域社会で「小さな統一」をつくることによって新しい社会と未来を築いていけることを示してくれていました。

ウトロ平和祈念館は歴史を継承するだけではなく、ウトロ住民をはじめ地域の人々に開かれたコミュニティの拠点として、また地域を超えて日本と朝鮮半島の未来を担う人たちの出会いと交流が深まる場としても役割をになっていきたいと。 そして戦争から生まれたウトロという地域を守り抜いた人々の姿を通じて、人権と平和の大切さ、共に生きることの意味を伝えていける場所になることを切に願っております。」とされています。案内をしていただいた金秀煥さんのお話しに心を打たれました。そして大変に大きな学びになりました事、感謝申し上げます。

 

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