持続可能な商店街に向けた支援について

私の事務所は、大口通商店街にあります。昭和天皇は、終戦後の1946年、焦土と化した国土を歩き始められました。「巡幸」と呼ばれる。その出発点となったのが神奈川。

焼け野原から奇跡の復興へ自動車で昭和天皇一行は、昭和電工川崎工場(川崎市)を訪ねられました。度重なる空襲で壊滅的な打撃を受けたが、早くも化学肥料等の生産を再開していました。 県内の巡幸は川崎工場を皮切りに、日産重工業横浜工場、県庁、大口商店街などと続き、翌20日も横須賀などを訪問。

戦後の復興から地域の賑わいとして栄えてきた商店街。しかしながら、経営者の高齢化などにより、閉鎖される店舗も増えてきました。また、今後は、店主の皆様の世代交代が進む時期にもあたり、商店街側の環境が大きく変わることが予想されます。こうした中にあっても、地域の交流の要である商店街の活気を維持していかなければなりません。

(1)世代交代の時期を迎える商店街に対する支援の考え方について伺う。

【経済局長答弁】長年にわたり活動の中心を担っていた会長や役員の大幅な交代があった商店街からは、「コミュニケーション不足により商店街の組織運営や地域との連携強化に影響が出ている」との声が寄せられており、商店街活動の維持・強化に向けた取組が必要であると認識しています。意欲ある商店会に専門家を派遣し、アドバイスを行うともに経済局の職員も商店街からの相談に応じるなど、伴走型支援を進めてまいります。 

●これまでもイベント開催支援や、プレミアム付商品券発行への支援など、様々な取組を行ってきました。いずれも有用なものですが、抜本的な課題解決に向けては、思い切った取組も必要と考えます。以前視察で訪れた香川県の高松丸亀町商店街では、再開発事業により、地権者が所有する土地をまちづくり会社へ貸出すことで、土地利用の課題を整理するとともに、まちづくりの視点から、商店街に高齢者向け施設を導入、地域交通や地域通貨の運営などにも取り組んでいました。

只、こうした取り組みは現実として、土地建物を所有しながら商売を営んでいる方も多く、実際に実施するにあたっては、合意形成などのハードルが相当高い。横浜の商店街を持続可能な形での将来につなげるためには、「食」や「地産地消」の取組や、あるいはまた、起業家などの人材を、商店街に積極的につなぎ、古くからの商店街との融合により生まれてくるものを、活性化のカギとすることなども、考えられると思っています。

(2)持続可能な商店街に向けた支援継続していくべきと思うが所感を伺う。

【経済局長答弁】複数の商店街で「ヨコハマ市民まち普請事業」で選考された多世代交流拠点の整備や、大規模小売店舗と連携した地域の賑わい創出、駅周辺の再開発事業に併せた環境整備など、新しい人の流れにつながる事例が生まれてきています。引き続き、地域特性や商店街の皆様のニーズを把握し、新しい手法を検討し、地域コミュニティの核としての役割を担う商店街を支援してまいります。

●時代拝啓に相応しい「まちづくりの中での」商店街支援を要望しました。

 

 

 

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