横浜市基地対策特別委員会に所属している事により、佐世保市を視察でお伺いしました。
佐世保市は、明治22年に海軍鎮守府が開庁され、軍港都市として急速に発展。第二次世界大戦終結後は連合国軍一員として米軍が進駐し、昭和21年6月には米海軍佐世保基地が創設されました。その後、平和産業港湾都市への転換を目指す一方で、米海軍佐世保基地と自衛隊施設も所在する中で、「基地との共存共生」を市政運営の基本姿勢としています。
・昭和46年市内に所在する米海提供施設の返還を求める「返還6項目」を定め返還活動を本格化。
・平成10年市議会が「米軍提供施設等返還6項目の見直しに関する決議」を議決。「新返還6項目」として、さらに返還要望活動を推進し、貯油所(赤崎)と港区岸壁(立神)の一部の返還が実現。
・その様な経緯にあって、基地の所在を地域の特性と捉えた取り組みの必要性とした視点も取り入れています。基地が所在することにより、市に様々な負担がある事実。一方で米海軍佐世保基地内では、令和3年4月現在で約1.800人の日本人従業員が勤務。市民の雇用を生み出す貴重な場ともなっています。また、市内に所在する自衛隊の隊員数は令和3年4月現在で陸上自衛隊約2.100人、海上自衛隊約5.700人。家族を含めると相当数の自衛隊関係者が市内居住していると考えられ、人口減少傾向にある佐世保市にとっては、その存在は非常に大きな位置付けでもある。また、日本遺産やセイルタワー(佐世保資料館)等、基地に関わる施設などは観光資源でもあります。
・自衛隊と米軍等と連携し、陸上自衛隊相浦駐屯地を会場にして大規模な総合防止訓練を開催する等、防災関係機関の体制強化と市民への防災意識の醸成にも繋がっている。
・基地が所在することによる「地域特性」。基地は佐世保市にとって、大きな「地域資源」で捉えている。市政発展のためにも、これらの地域資源を活かす取り組みの推進の必要性を唱えている。
基地の全面返還を求める横浜市では「基地対策」であるが、佐世保市においては「基地政策」とする相違が存在する。冒頭挨拶にて、佐世保市議会議長からも、この点に触るご挨拶もありました。
佐世保基市基地政策方針について
佐世保市として、米軍提供施設の返還だけでなく、市政における基地政策の在り方全般について、方向性を明確にして、その取り組みを着実に推進するために「佐世保市基地政策方針」が定められました。この方針は、令和4年度から第7次総合計画の基本目標年次である令和9年度迄の6年間としています。(佐世保市第7次総合計画を基地政策の面から補完。同計画の「行政経営」に位置付けられている。)
基地政策に関わる取り組みは、長期的な視点に基づき進める必要がある一方で、日本の安全保障環境をはじめとする社会情勢の急激な変化が生じることも考えられ、期間中においても必要に応じて内容の見直しも行うものともしています。この基地政策の方向性に基づく取組については、以下の下記の項目の取り組みを定めています。
(1)「我が国の防衛政策推へ積極的な協力・支援」を図るための役割(2)「市の地域特性である基地の所在を積極的に活かしたまちづくりの推進」を図るための取り組み。(3)「基地に起因する負担の軽減及び課題の解決(国に積極的な関与を求める)」を図るための取り組み。
また「佐世保市基地政策推進本部」を設置し、基地政策に関する基本方針及び重要事項について協議・決定し基地政策の戦略的推進を図っています。佐世保市は、歴史的な経緯を踏まえ、現実的に基地を地域資源として捉え、また返還を棲み分けをして基地政策としています。全面返還として、横浜市は基地対策としています。