令和3年度(第1回)基地対策特別委員会

今年度所属する事となりました、基地対策特別委員会が開催をされ、委員会運営方法についての確認、市内の米軍施設の現況等について説明を受けた後、“根岸住宅地区”を視察しました。

横浜市は、第二次世界大戦後、市の中心部や港湾施設を広範囲に渡り接収され、横浜の再建・復興は著しく遅れることとなりました。市内には今なお米軍施設が4か所残っており、都市づくりを進めるうえで、大きな妨げとなっています。しかし、米軍施設は、首都圏に残された貴重な空間資源であることから、早期全面返還の取り組みを促進し、返還跡地の有効利用を図っていく事を目指しています。

平成16年10月には、日米合同委員会において、市内米軍6施設を対象とした返還方針が合意され、平成17年12月には小柴貯油施設の、平成21年5月には富岡倉庫地区、平成26年6月に深谷通信所、さらに平成27年6月には上瀬谷通信施設の返還が実現しました。

横浜市では、平成16年10月に市経営責任職による「横浜市返還施設跡地利用プロジェクト」を設置し、平成17年3月にそれまでの検討内容を「第一次報告書」としてまとめています。平成17年6月には学識経験者等を委員とする「横浜市返還施設跡地利用構想検討委員会」を設置し、同年12月に「返還施設の跡地利用に関する提言」をいただき、この提言や多くの市民意見を踏まえ、平成18年6月に「米軍施設返還跡地利用指針」を策定しました。その後、平成19年3月に、指針の具体化に向けた取組方針を「横浜市米軍施設返還跡地利用行動計画」としてまとめました(平成23年3月改定)。

本日は、米軍人、軍属及びその家族が居住し、管理事務所、教会、宿舎、中央公共施設(図書館、銀行、郵便局等)、診療所等が所在していた“根岸住宅地区”を視察。この地区は、昭和22年に接収された中区、南区、磯子区にまたがる約43haの米軍施設で、平成16年の返還方針の日米合意を経て、平成18年6月に「米軍施設返還跡地利用指針」を策定。その後、平成30年11月に「早期の引き渡しに向け、原状回復作業を速やかに実施するため、共同使用について日米間で協議を開始すること」が日米合意されたため、本地区の返還が現実的になってきました。

横浜市としては、戦後70数年に渡り、貴重な土地を使用する制限を受けてきた地権者の方々はもちろんのこと、米軍施設があることで不便を強いられてきた周辺にお住まいの方々の想いも汲み、地域の活性化を図るための魅力的なまちづくりを実現させるとともに、返還後の跡地利用が本市の様々な都市課題を解決する契機と捉えています。(横浜市)

現在、平成27年12月にすべての居住者が退去、在日米海軍横須賀基地司令部憲兵隊が交代制により立哨業務及び警備巡回を行っています。米軍施設・区域に囲まれた土地に居住されている市民の方もおり、日常生活上の様々な制約を受けています。

そして、平成29年5月に地権者組織である「米軍根岸住宅地区返還・まちづくり協議会」が「まちづくり基本計画(協議会案)」をとりまとめたことを受け、「市及び本地区が抱える課題や可能性」を整理し、協議会案を尊重しつつ、新たにまちづくりの方向性を付加され、横浜市立大学医学部・附属2病院等の再整備構想等、本年「根岸住宅地区跡地利用基本計画」が策定されました。

今後、返還後の横浜市に相応しい利用の在り方が検討されていきます。

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