松山市の三津浜活性化推移事業を視察。
事業は、松山市都市ブランド戦略課の三津浜地区にぎわい創出事業の一環で、松山市が「コトラボ合同会社」に委託。
下の写真は、三津浜地区の空き家や古民家などの情報を収集し活用を図るとともに、地域資源を活用したイベントの構築やまちづくり活動の支援の活動拠点となる事務所の「ミツ(三津)ハマル」です。三津に行く+ハマる=ミツハマルとの事です。
コトラボ合同会社さんは、横浜寿町を拠点にモノづくりではなくコトづくりからまちづくりを考えていくプロジェクトを2004年に開始。
コトづくりとは、物事を”モノ”と”コト”に分けたときに、モノづくりは、建物、家具、道具など手に取れる物質への視点を優先するものを捉えるならば、コトづくりは、イメージ、コミュニティ、雰囲気、想いなど手には取れないけれどもそこに存在または介在しているものへの視点を優先する考え方と捉えている。岡部代表がモノ・コトについての大学院での学びに影響を受けてコトづくりの大切さを事業に取り込んでいきたいとの思いからコトを研究する意味で「コトラボ」という名を用い始め、社名としたとの事。
松山市の三津浜地区は、「坂の上の雲フィールドミュージアム」のサブセンターゾーンとして位置づけられている港町です。江戸時代には松山藩の御船手組(船奉行所)が置かれた 港町で、漁業や商業で栄えたまちでした。 明治期には正岡子規や秋山兄弟もここから出航して上京するなど、明治から昭和の中頃まで、 松山と本州や離島を結ぶ海の玄関として、あるいは松山市の物流の拠点としての要衝となってい ました。 しかし、近年においては、海から陸、空へと交通手段が変化したことに加え、近隣の高浜旧港、 松山観光港等の整備によって、三津浜地区の港町としての相対的位置づけが大きく変化してきまし た。また、三津浜地区の事業所数・従業者数、人口及び世帯数は減少傾向にあり、一方で高齢化 が進行し、まちの活力の低下が顕著になっています。
松山市内には、小説『坂の上の雲』ゆかりの史跡や地域 固有の貴重な資源が数多くあります。これらの地域資源を ひとつの作品にたとえ、市内全体を「屋根のない博物館」 として捉えた、「『坂の上の雲』フィールドミュージアム構 想」を掲げ、回遊性の高い物語のあるまちづくりに取り組 んでいます。松山城周辺をセンターゾーン、その回りに 6 つのサブセンターゾーンを配置していますが、三津浜地区 は「三津浜・梅津寺地区」として、サブセンターゾーンの 一つに位置づけており、それぞれのゾーンの魅力や個性を 地域住民が主体となって磨き上げ、「松山らしさ」を活かし たまちづくりを展開しています。 このような中、三津浜地区では、住民が主体となった「三津浜地区まちづくり協議会」が平成 22 年 5 月に設立され、多様なまちづくり活動に取り組んでいます。 本計画は、地域や住民の動きを尊重しながら、地域の振興を図ることを目的として、三津浜地区 の地域住民や民間によるまちづくりへの機運を一層高めるとともに、三津浜地区のにぎわいの創出 や交流人口の拡大を図るための活動の指針となる計画が策定されました。
古民家が、素敵なお店に変わる。地域の中や外から三津の魅力に惹きつけられら人達が多様な「なりわい」を持って、この街で暮らし始める。自分の生き方をアレンジして素敵な人の繋がりができる。きっと、この街はゆっくりと大切な変わり方をしていくと感じました。