横浜市には、山下公園をはじめ、全国的に有名な公園が多く点在。そして、横浜市は、全国でいち早く公園が整備された都市です。
この度、写真の「横濱の公園」という一冊の小冊子が作成され、明日から開催の「第33回全国都市緑化よこはまフェア」会場にて配布されます。この冊子は、地域情報誌「横浜ウォーカー」との連携により、横浜市内の公園や 市民の森などを紹介。
公園の歴史は1873年、明治6年の太政官布達という政府からの通達がきっかけとの事ですが、実は横浜市では、これに先駆けてすでに公園の整備が始まっていたことが、冊子で紹介されています。
横浜市内で、最も古い公園は、山手の丘に位置する山手公園1870年、明治3年に、日本初の洋式公園として開園しています。その発端は、1866年慶応2年に日本とイギリスなどの各国との間で調印された「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書」で、街づくりの一環として居留地や墓地、公園などを整備する規定が書かれていたとの事。
この時、山手公園はまだ外国人専用の公園で、当時の日本人には、公園との概念はなく、散歩したり集まったりする場所といえば、もっぱら寺社の境内や城下の広場。その概念を変えたのが山手公園についで1876年明治9年に開園した横浜公園だそうです。まもなく、チュウリップが咲き誇る、横浜スタジアムがあるのが今の横浜公園です。
この公園は、日本最初の都市計画の一つとして計画され、外国人も日本人も利用できる公園として造られました。当時の名前は彼我公園という名前で「彼」は外国人、「我」は日本人の意味で設計はイギリス人の技師R・H・プラントン。
1930年昭和5年には、山下公園が開園し、戦後はアメリカ占領軍によって接収される等、開港からの歴史が公園には詰まってもいます。歴史や生活を変えた場であり街づくりに欠かせないポジションとして存在しています。
現在、横浜市会の公園を所管する環境創造局を要する常任委員会に所属していますので、これを機会に公園のあり方にについて今一度研究してみようと思います。